はじめに:サイゴンの中心に息づく、日本の魂を巡る旅へ
活気あふれるこの大都市の中心には、日本の文化が色濃く根付き、それぞれが独自の魂を宿す魅力的なエリアが点在しています。故郷の本格的な味を懐かしむ在住者、日本のカルチャーに心惹かれるベトナムの方々、そして新たな発見を追い求める旅行者。この街は、そうした全ての人々にとって、尽きることのない魅力に満ちた宝箱のような場所なのです。

特に、ホーチミンには二つの大きな日本人コミュニティの中心地があります。一つは、長年にわたり「リトルトーキョー」として知られる1区のレタントン・タイバンルンエリア。もう一つは、新しい世代のライフスタイルを反映するビンタイン区のファンビッチャン通りです。
この記事は、これら二つの魅力的な日本人街を巡るための、あなたのための完全なガイドブックです。どちらかを比較するのではなく、それぞれのエリアが持つ独自の雰囲気、必食のグルメ、隠れた名店、そして最高の体験を、一つ一つ丁寧に案内していきます。
伝統的な日本の路地裏の温かさを感じる旅、そしてモダンでクリエイティブな新しい日本の風を感じる旅。さあ、ホーチミンの中心で、二つの異なる日本の世界を巡る冒険に出かけましょう。

第一章:「元祖リトルトーキョー」の探訪 – 1区 レタントン・タイバンルン
ホーチミンで日本の深い文化と活気ある夜を体験したいなら、まず訪れるべき場所が1区のレタントン(Lê Thánh Tôn)通りと、そこから枝分かれするタイバンルン(Thái Văn Lung)通り、特に有名な「8A」の路地です。ここは、ホーチミンの日本人街の歴史そのものであり、今もなお多くの日本人にとっての「心の故郷」であり続けています。

エリアの雰囲気:東京の繁華街に迷い込む感覚
このエリアに一歩足を踏み入れた瞬間、あなたは時空を超えて日本のどこかの繁華街の路地裏にいるかのような錯覚に陥るでしょう。道の両脇には、日本語の看板がネオンを輝かせ、赤い提灯が温かい光で通りを照らします。風格のある木の扉の向こうからは、楽しそうな話し声と笑い声が漏れ聞こえ、食欲をそそる出汁や炭火の香りが漂ってきます。
このエリアは、1990年代以降、日本企業のベトナム進出と共に発展しました。主に単身赴任のビジネスマンたちが集まり、仕事の疲れを癒し、日本の味を求めたことから、接待にも使える高級店から、一人でもふらりと立ち寄れる居酒屋やラーメン店まで、あらゆるニーズに応える専門店が密集する独特の生態系が生まれました。夜が更けるにつれてその活気を増すこの街は、まさに「大人のための安らぎの場所」です。
グルメ探訪:本物の「日本の味」を極める
このエリアの神髄は、専門性の高い「食」にあります。ここでは、日本の特定の食文化を深く追求した名店での食事が楽しめます。
ラーメン激戦区:魂を込めた一杯を味わう
ホーチミンで本格的なラーメンを語る上で、このエリアは外せません。数々の名店がしのぎを削っています。
- ラーメン暖暮(Danbo Ramen): 福岡発祥の世界的にも有名な豚骨ラーメン店。クリーミーで深みがありながらも、特有の臭みは丁寧に抑えられた極上の豚骨スープが自慢です。麺の硬さ、スープの濃さ、辛味だれの量などを自分好みに細かく調整できるシステムは、日本の店舗そのもの。本格的な博多ラーメンの真髄を味わいたいなら、まずここを訪れるべきです。カウンター席が中心の店内は、一人客も多く、ラーメンに没頭できる空間です。
- 麺屋むたひろ(Mutahiro Ramen): 東京・国分寺に本店を置く、独創性で知られる人気店。看板メニューは、鶏の旨味を極限まで引き出した濃厚な「鶏白湯(とりぱいたん)そば」。豚骨とは異なる、ポタージュのようなまろやかさと深いコクが楽しめます。限定メニューも多く、訪れるたびに新しい発見があります。明るくポップな雰囲気で、若い世代からも絶大な支持を得ています。

- フジヤマ55(Fujiyama55): 名古屋発祥のつけ麺の有名店。魚介豚骨の濃厚なつけ汁に、もちもちの極太麺を絡めて食べるスタイルは、一度食べたら病みつきになります。麺を食べ終わった後、残ったつけ汁にご飯と卵を入れて「リゾット」にして締めくくるのが定番の楽しみ方です。
居酒屋文化の真髄:心温まる日本の夜
日本の「居酒屋」は、お酒と共に美味しい料理を味わい、仲間と語らう社交の場。タイバンルンには、その文化を忠実に再現した名店が揃っています。
- 鳥匠(Torisho): 本格的な炭火焼き鳥の専門店。熟練の職人が備長炭で一本一本丁寧に焼き上げる焼き鳥は、香ばしさとジューシーさが格別です。日本の地鶏を使い、定番の部位から希少部位まで楽しめます。活気あふれるカウンター席で職人技を眺めるもよし、接待に使える個室でゆっくりと過ごすもよし。日本のビールや焼酎、厳選された日本酒と共に、日本の夜を心ゆくまで堪能できます。

- 花かるた(Hanakarta Oden & Sake Bar): ホーチミンでは貴重な「おでん」を看板メニューに掲げる、隠れ家のような名店。関西風の透き通った出汁がじっくりと染み込んだ大根や卵、手作りの練り物は、疲れた心と体を優しく癒してくれます。店主が厳選した日本酒のコレクションも素晴らしく、おでんとの最高のペアリングを提案してくれます。静かに一人で、あるいは親しい友人と語り合いたい夜に最適な場所です。
寿司と刺身の芸術:特別な日のために
大切な人をもてなす特別な日には、やはり最高の寿司が選ばれます。このエリアには、日本の名店に引けを取らない、世界レベルの寿司店が静かに佇んでいます。
- 鮨 嶺(Sushi Rei): 日本の豊洲市場などから最高の旬の食材を空輸し、江戸前の伝統技術で提供する本格的な寿司割烹。メニューは職人にお任せする「おまかせコース」のみ。静寂に包まれた洗練された空間、美しい白木のカウンター、そして目の前で繰り広げられる無駄のない所作。それは単なる食事ではなく、五感で味わう芸術体験と言えるでしょう。

夜のエンターテイメント:大人のための隠れ家
タイバンルンの魅力は、食事の後も続きます。路地裏の奥深くには、知る人ぞ知る質の高いバーが点在しています。
- The Iron Bank – Cocktail Vault: 古い銀行の金庫をテーマにした、ユニークなコンセプトのスピークイージーバー。日本のウイスキーの豊富なコレクションや、季節のフルーツを使った独創的なカクテルが楽しめます。薄暗い照明と落ち着いた音楽が流れる空間は、デートや食後の一杯に最適です。

第二章:「新世代の日本人街」の散策 – ビンタイン区 ファンビッチャン
1区の伝統的な日本人街から少し足を延し、ホーチミン市の新しい鼓動を感じたいなら、ビンタイン区のファンビッチャン(Phạm Viết Chánh)通りを目指しましょう。ここは「リトルジャパン2.0」とも呼ばれ、旧市街の喧騒とは一線を画す、モダンでクリエイティブな日本のライフスタイルが体験できる場所です。
エリアの雰囲気:開放的でクリエイティブな日本の顔
ファンビッチャンエリアを歩くと、まずその開放的な雰囲気に気づかされます。ガラス張りのファサードを持つ路面店が多く、ミニマルで洗練されたデザインの建物が並びます。ここに集うのは、IT企業などで活躍する若い世代の日本人、日本の現代カルチャーに精通したベトナムの若者、そして欧米からの感度の高い駐在員たちです。
このエリアの魅力は「創造性」と「コミュニティ感」。日本のものをそのまま持ち込むだけでなく、ベトナムの要素と融合させたり、新しい解釈を加えたりしたユニークな店が多いのが特徴です。国籍を問わず、同じ価値観を持つ人々が自然と交流し、新しいカルチャーが生まれる、そんな心地よいエネルギーに満ちています。
新しい食とライフスタイルの探求
ファンビッチャンが提案するのは、単なる食事ではなく、日々の暮らしを豊かにするライフスタイルそのものです。
こだわりのカフェ文化:「スロー」な時間を楽しむ
このエリアを象徴するのが、一杯一杯に情熱を注ぐスペシャルティコーヒーのカフェです。
- KAMUI COFFEE: 日本人オーナーが経営する、自家焙煎のスペシャルティコーヒー店。世界中から厳選した高品質な豆を使い、注文ごとにハンドドリップで丁寧に淹れてくれます。豆の持つ複雑でクリーンなフレーバーを最大限に引き出したコーヒーは、まさに絶品。静かで洗練された空間で、コーヒーと真剣に向き合う贅沢な時間を過ごせます。
- Cafe Slow: 「ゆっくりとした時間」をコンセプトにした、緑あふれる心地よいカフェ。質の高いドリンクと共に、読書や友人との会話、あるいはPC作業に集中するのに最適な空間です。フードメニューも充実しており、週末のブランチスポットとしても絶大な人気を誇ります。
創作料理とフュージョン:新しい味覚との出会い
ファンビッチャンは、伝統的な日本食の枠を超えた、新しい発見がある場所です。
- KOME – Contemporary Japanese Kitchen: 日本食の技術をベースに、西洋料理のエッセンスを大胆に取り入れた創作料理が楽しめます。見た目も美しく、ウニをふんだんに使ったパスタや、フォアグラのソテーなど、独創的で驚きのあるメニューが揃っています。スタイリッシュな空間は、デートや女子会に最適です。
- Izakaya TEN: カジュアルながらも料理の質が高いと評判の人気居酒屋。伝統的な居酒屋メニューはもちろん、季節の食材を使った創作料理も楽しめます。アットホームで活気のある雰囲気で、友人たちと気軽に集まって美味しい料理とお酒を楽しむのにぴったりの場所です。

ベーカリーから立ち飲みまで:多様な日本の「今」
このエリアの面白さは、レストランやカフェだけにとどまりません。日本の「今」を感じさせる多様な業態の店が点在しています。
- 日本のパン屋: 日本ならではのふわふわの食パンや、懐かしい味の惣菜パン、菓子パンを求める人々で賑わうベーカリー。
- 立ち飲み(Tachinomi): 日本の都市部で人気の「立ち飲み」スタイルのバーも登場。仕事帰りにさくっと一杯、という気軽な使い方ができ、客同士の距離が近く、自然な交流が生まれるのも魅力です。
第三章:日本人街を巡るための実践ガイド
二つのエリアをより深く楽しむために、いくつかの実用的な情報をお伝えします。
移動と駐車のヒント
どちらのエリアへも、移動には配車アプリ「Grab」のバイク(Xe ôm)か車(Car)を利用するのが最も安全で便利です。
- タイバンルンエリア: 1区中心部にあり道が非常に狭いため、車でのアクセスや駐車場探しは極めて困難です。Grabバイクを利用するか、近隣のホテルから徒歩で向かうのが賢明です。
- ファンビッチャンエリア: 1区からGrabで10〜15分ほど。比較的道は広いですが、やはりGrabの利用がスムーズです。
料金と予約に関する注意
- 料金: メニュー価格にVAT(付加価値税10%)やサービス料(5%)が含まれていない 경우가あります。お会計の前に確認しましょう。
- 予約: タイバンルンエリアの人気店、特に高級店や金曜・土曜の夜は予約が必須です。数日前に電話か、お店のFacebookページ経由で予約することをお勧めします。ファンビッチャンのカジュアルな店は予約なしでも入れることが多いですが、確実に入りたい場合は予約しておくと安心です。
簡単なベトナム語・日本語
多くの店で日本語や英語が通じますが、現地の言葉で挨拶すると、より温かく迎え入れてくれるでしょう。
- こんにちは: Xin chào (シンチャオ)
- ありがとう: Cảm ơn (カムオン)
- お会計お願いします: Tính tiền (ティンティエン)
- おすすめですは?: Món nào ngon? (モンナオ ゴン?)
結論:ホーチミンで、あなただけの日本の物語を
ホーチミンに存在する二つの日本人街、レタントン・タイバンルンとファンビッチャン。
伝統とビジネスが交差し、日本の夜の文化が凝縮された前者。 創造性とライフスタイルが融合し、新しいコミュニティが生まれる後者。
これらは単なる日本人向けのエリアではなく、ホーチミンという都市の多様性と懐の深さを象徴する、二つの魅力的な世界です。ある夜は、伝統的な居酒屋の暖簾をくぐり、故郷の味に安らぎを感じる。またある午後は、洗練されたカフェで、国籍を超えた友人たちと未来を語り合う。
このガイドを手に、ぜひ両方のエリアを訪れ、それぞれの空気を肌で感じてみてください。きっと、あなたがまだ知らない日本の、そしてホーチミンの新しい顔を発見できるはずです。あなたが訪れたお店や、心に残った体験があれば、ぜひコメントで教えてください!

